「テニス部奮闘記」


 僕は中学生の頃、軟式テニス部に所属していた。高校に入ってもやっていたのだが、あまりにも練習がきつく、1年でやめてしまった。それ以来やっていない。つまり、中学の時のテニスは別に国体で優勝しようとか、そんな大それた気持ちではなく、かなり適当にやっていたのである。出来たてだったので顧問もいなかったし、他の子もそのほとんどが真面目にはやっていなかった。
 その為なのかは分からないが、テニス部にはかなりの珍人物が集まっていた。まあ、まともなのもいたのだが、やはり怪しげな連中が多かった。
 今回は、そんなテニス部の面白野郎ども(一部、女性もいますが)を紹介しようと思う。


 まずは部長のS君である。彼はテニスの腕はまあまあで、人望もあった為に部長に選ばれたのだが、性格が部長に似つかわしくなかった。一言で言えば、軟弱だったのである。
 何と言っても「今日は風が強いから休み」である。これはもう空いた口が塞がらなかった。他にも「雨で地面がぬかるんでるから休み」、「寒いから休み」などの珍言がある。本来ならブーイング必至なのだが、前にも言った通り真面目なヤツが少なかったので、何の問題も無かった。既にこの時点で我が部活のていたらくが分かるというものである。更に彼の頼りなさを強調させたのが、ある試合での出来事だった。
 それは別の学校で行われる、いわゆる「大きな大会の前の予選」的な意味合いを含めた試合だったのだが、その学校がなかなか遠く、自転車などではとても行けない距離だった。専用の大型バスなど借りられるはずも無かったし、タクシーなどもってもの他。その結果、我々は普通にバスを乗り継いで行く事となった。で、顧問がいなかったので、そのバスの乗り継ぎなどは全て部長のS君が仕切る事になった。女子テニス部も行く、との事だったので、僕は、
「女の子達についていけばいいんじゃないかなぁ」
 などと、軽く考えていた。それに、S君は何だかんだ言って部長だったので、そこらへんもちゃんとしているだろう、となーんも考えていなかった。
 が、それがまずかった。彼はものの見事に乗り継ぐバスを間違えたのである。前日に女子テニス部の顧問が一緒に行こうと誘っていたらしいのだが、彼はそれを断っていた。その結果、見事に間違えたのである。
「ぶちょー。何間違えてんすかー?」
「なははは。ごめんごめん」
 と反省の色無し。今思えば、凄い部長である。
 結局、試合には何とか間に合い、ちゃんとやる事ができた。僕は正直、部長には非難ゴーゴーだな、と思っていたのだが、そこはダメダメな野郎の集まり。ほとんどの生徒は誰も何も言う事も無く、穏やかに済んだのである。
 いやぁ、あの時は平和だったなぁ。


 次はK君コンビである。2人いて、両方共イニシャルがKなので、Kコンビと呼ぶ事にする。
 2人はメンバーの中でも、特に真面目なやらない生徒であった。何故テニス部なんかに‥‥と思っていたが、考えてみればウチの中学は必ずどこかの部活に所属していなければいけなかったので、彼らがテニス部を選んだのは当然だった。
 2人は完全に化学系の人間で、体を思い切り動かして「いやぁ、スッキリした」というタイプではまったく無かった。その為、放課後は決まって砂遊びをしていた。‥‥中学生ですからね、2人は。
 ウチの中学のテニスコートの隣には砂場があり、主に走り幅跳びなどに使われていた。その後、大きく改築されて、コートは別の場所に移るのだが、1年の時は近くに砂場があったのである。
 2人はいつもそこで砂遊びをしていた。やっていた事は「トンネル作り」。読んで字の如くである。中学生にもなって何故砂遊びを‥‥と思ったが、2人にとってはテニスよりも楽しかったのだろう。
 両側から穴を掘り始め、見事に開通すると、
「おおっ! 同志よ」
「いやいや、久しぶりではないか」
 とアホな会話をしていたのである。間違いなく女の子にモテない光景である。まあ、本人達も、それほどモテモテというタイプの人ではなかったので、いいという事にしよう。(しようってどういう事だ?)


 では次行ってみよう。次はアニメ大好き人間T君である。
 おそらく、今ならばほぼ間違いなく僕の方がオタクだと言えるが、当時は彼の方がアニメ好きであった。アニメオタクというほどではなかったのだが、何と言っても「アニメが見たいから」という理由でちょくちょく部活を休んでいたというのだから、結構なものである。
 当時、僕達の住んでいた地域テレビでやっていたアニメで有名だったのが、かの名作「機動戦士ガンダム」と「宇宙船サジタリウス」だった。勿論、2つとも再放送である。で、その2本の作品がちょうど、部活の時間に放送していた。彼はそれが見たいが故に部活を休んでいたのである。
 今でこそ、テニスをやめアニメ一本道に入ってしまったので、「ガンダム」と「サジタリウス」の方が人生にいい影響を与えたな、と思えるのだが、当時はそれほどのめり込んでいなかった。ので、彼を軽蔑したものである。
 にも関わらず、試合をやるとかなりの確率で負けていた。それほど彼に才能があったのか、はたまた僕が弱かったのか‥‥。おそらく後者なのだろうが、何とも複雑な気持ちであった。彼は世渡りがうまかったんだろうなぁ。


 んじゃ、次。次は僕や僕の友人の間では「仙人」とまで呼ばれていた不思議な男Yである。
 彼は「漫画『美味んぼ』の海原雄山の美食倶楽部は右から左に書いてあるんだ」という名言(?)や、持っているシャーペンはどれも金ピカでオヤジ臭い、はたまたテニスでボールに向かって走ると通り越してコケてしまう、という数々の伝説(?)を持っているのだが、中でも「500円ラケット事件」は衝撃的だった。
 当時、というか今もだと思うのだが、テニスのラケットは大体5000円から、上は数万はした。決して安易にポコポコと買える代物ではなかった。僕でさえも、3年間1つのラケットで通したものである。が、そんな中、彼は500円という破格のテニスラケットを持ってきた。みんな、物珍しげにそれを見たものである。
 500円とは言うものの、それは決してダメダメの代物ではなかった。ちゃんとガット(網の事ね)も張ってあったし、普通にテニスもできた。そんなに問題は無かったのである。彼はそのラケットを使い、しばらくはテニスをしていた。
 が、その結末は驚く程早くやってきた。ある日の事、僕の大の友人Fがそれを振っていたら、地面に転がっていた石を思い切り打ってしまい、ラケットはボッキリと折れてしまったのである。
「やばい事しちゃったなぁ」
 とF君は苦い顔をしたものの、そこは仙人Y。
「いいよ、どうせ500円だったし」
 と軽く許してしまったのである。さすが仙人。心も広かったのである。


 では、次に行こう。ってたくさんいるなぁ。
 次はHとNの2人である。彼らはテニス部の中で最低の部活出現率を誇っていた。つまり、ほとんど出なかったのである。
 2人の内、僕はH君と比較的仲が良かった。結構部活には出ていた僕だったが、もともとスポーツが苦手な為か、全然うまくなかった。その為、誰もペアを組んでくれる人がいなく、大会の時などはH君と組んでやっていたのである。つまりこれは、「下手な連中同士組んでやってくれ」的合図だったのだが、正直テニスにのめり込んでいなかった僕は、それを甘んじて受け入れていた。
 そんなある日、ある学校で大会が開かれる事になった。ちなみに、最初に紹介した「部長、バス乗り違い事件」とは別の日である。
 僕は少し早めにそこに辿り着いたのだが、H君は遅れるとの事だった。試合の受け付けは1人いれば出来たので、僕は早々試合の申し込みをして、H君が来るのを待った。
 が、試合の時間になっても彼はやってこなかった。僕は相手の選手達に、
「すんません、もうちっと待ってください」
 とへコヘコと謝り続けた。最初はそれで何とかなったのだが、時間が過ぎていくと相手選手達も苛立ち始めた。もっとも、一番苛立っていたのは僕だったが。
 で、およそ20分後、彼は何食わぬ顔でやってきた。
「何してたんだよ、H君」
「ごめんごめん。ちょっと迷っちゃって」
 などと、悠長な事を言いながら、彼はラケットを取り出し、そして試合が始まった。
 が、相手選手は怒っていた。そして、その怒りを試合にぶつけた。その結果、僕達は待っている時間よりも早く負けてしまったのである。それも完膚無きまでに。
「いやぁ、負けちゃったね」
「‥‥」
「でもさあ、一回戦まで行けたんだからいいじゃん」
「一回戦は誰でも行けるの」
「なははは」
 遅刻した上に、負けた事を残念も思わないH君。今思えば、彼のその凄すぎる性格は天然だったのかもしれないな、と思うのである。
 そして続いてN君である。彼もその大会に出ていて、僕と同じく一回戦で負けていた。だが、彼もH君同様、勝てるなどと最初から思っていなかったらしく、飄々としていた。彼としては、大事だったのは試合よりも昼ご飯だった。
 大会は1日をかけて行われたので、昼ご飯は各自用意してきていた。普通はお母さんが作ったお弁当や、コンビニの弁当だったりする。そして飲み物は烏龍茶か麦茶であった。(何故かスポーツ飲料は禁止されていた)
 が、そこでN君は最大の見せ場を作った。試合で見せ場を作れなかった彼は、昼ご飯に見せ場を持ってきたのである(どう考えても間違っている気がするのだが)。
 なんと彼は水筒にあったかい味噌汁を入れて持ってきたのである。確かワカメの味噌汁だったと思う。
 僕らは唖然とした。当時、ポカリスウェットにちょっとだけ麦茶を足して「これはポカリスウェッ茶って言う飲み物なんだ」とか言ってズル(というより苦肉の策)をしていたヤツはいたが、彼はズルとかそういうレベルではなかった。一言で言ってアホだったのである。
「うまそうだろ? にはは」
 そう言いながら、彼は味噌汁を普通の飲み物のように飲んだ。
 結局彼は、味噌汁を堪能しながら弁当を食べた。僕達もちょっと飲ませてもらったが、屋外で味噌汁を飲むというのは何とも不思議な気持ちであった。


 じゃ、次。が、今回は真面目である。それは今でも親交のあるF君である。
 おそらく、彼があの時最も真面目に練習をしていた人であろう。高校、大学に行っても熱中し(高校からは硬式に移ったが、プロの試合は全て硬式なので、正解だろう)、就職して警察官になっても続けているという、熱血漢であった。
 大会で一回戦を突破できたもの彼のコンビだけだったし(ちなみにペアは例の部長)、部長よりも他のメンバーに指示を出していたのも彼だった。
 今思えば、あの時ちゃんとした顧問とちゃんとした仲間がいたならば、彼は今頃プロとして活躍していたかもしれない、と思う。テニスの腕は他の誰よりも上手だったし、志も高かった。F君、あんなヘボテニス部ですまん、とここで謝っておこう。


 ここまでずっと野郎の事を話してきたが、このままではあまりに華が無い。という事で、次は女の子の話と行こう。
女の子のテニスウェアは何ともそそるものがある。短い白のスカートから伸びる生足は例え中学生であっても魅惑的であった。プロの試合はそんな事よりも試合の勝ち負けの方が気になるので、あまり興奮しないのだが、素人となれば足である。
 女子テニスは男子に比べてかなりレベルが高かった。これはテクニックの事ではなく、その他色々である。顧問の先生もいたし、ちゃんとノルマのようなものもあった。別に大会常連組というわけではなかったのたのが、少なくとも部員に関しては男子よりもちゃんとしていた。
 その中、僕が結構好きだったのがKさんであった。別に付き合いたいと思っていたわけではないのだが、クラスも一緒だったし、仲も良かったので、女子テニス部の中では彼女が一番気になっていた。
 何と言っても可愛かったのである。笑顔が眩しかったし、体つきも思春期の男子を悶々とさせるには十分過ぎるものを持っていた。そんな彼女の生足は下手なエロビデオよりもよっぽど強烈だった。ちなみに、当時はまだエロビデオを見た事はありませんでしたが。
 前述したが、男子テニス部はやる気のある奴が少なかった。その為、人数が集まらず、女子と混同で練習をする事もちょくちょくあった。で、僕は彼女と仲が良かったので、彼女と練習試合をする事も多かった。互いに下手ッピーだったというのも、大きな要因である。
 で、彼女は何故か普段の練習の時もテニスウェアを着ていた。その服が好きだったのかは知らないが、練習試合の時も彼女の生足が拝めるというのは嬉しかった。
「はーい、行くネー」
 ポーンと彼女がボールを打つ。揺れる太股。
「おっ、おう」
 打ち返す僕。でも、視線はボールではなく生足。
 最低だが、こんな感じだったのである。
 が、そればかり見ていたのがいけなかった。さすがにネットを挟んで相対する2人である。その視線はすぐに彼女に気づかれてしまった。
「モンチョイ(僕の当時のあだ名)、どこ見てるのよー! えっちい!」
 と何度怒られた事か。もっとも、仲が良かったので、そのお怒りも本気モードではなく、お遊びレベルであった。僕はごめん、と言いながらも、終始彼女の足ばかり見ていた。あれはもしかしたら、俺に対する「嫌だけど、好きだから許しちゃうのよ」的な合図だったのかもしれない、と今になって思う。一緒に帰ろうなどと言われた事もあった。
 結局、彼女とは何も無く終わってしまうのだが、もしもあの時僕が本気で彼女の事を考えていたら、付き合えたかもしれないなぁ。もう、何もかも手遅れだが。
 彼女に関しては「プールにてその眩しすぎるお姿に、あらぬ事を考えてしまった事件」などもあるのだが、あまりにもえげつない事件などで割愛させてもらう。というか、大体想像できるでしょ?


 色々と語ってきたが、僕の中学の頃の部活での思い出はこんなものである。高校は帰宅部、大学では漫画研究会に入っていたので、あれが僕にとって最初で最後の運動系部活であった。その最初で最後が何ともアホな部活だったのだが、あのアホな経験があったからこそ、今の僕がいるのであって、後悔はしていない。
 あの時、僕らはアホだったけどそれなりに青春してたなぁ。
                                                                       終わり


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